己亥のむにゃむにゃ

ちゃんと自分で書いてるブログです。

違和感がいっぱい(LGBTQ+・・・について思う①)

性的指向・ジェンダーアイデンティティー理解増進連絡会議

 産経新聞によると、政府は8月9日、LGBTなど性的少数者への国民の理解増進を図るため、関係府省の「性的指向・ジェンダーアイデンティティー理解増進連絡会議」の初会合を開いた。とのこと。



 6月23日に施行された、いわゆるLGBT理解増進法を受けて、関係する府省の間の会議を初めて開いたということだ。


 何で施行から1ヶ月半も経ってから初会合とは。。。しかも次回は9月後半で、開催の頻度は決まっていないという。
 急いで決める必要はないということか。では、なぜあれだけ急いで成立させたのか、全く理解に苦しむ。


LGBTQ+の違和感

 そもそも、L・G・B・T・Qを一緒に考えることにすごく違和感を感じる。


 それぞれの意味は、株式会社JobRainbowのなどのサイトによると
 Lは、レズビアン:自身を女性と自認しており、性的指向が女性に向く
 Gは、ゲイ:自身を男性と自認しており、性的指向が男性に向く
 Bは、バイセクシュアル:男性・女性のどちらにも性的指向が向く
 Tは、トランスジェンダー:法律上の性と自認する性が一致しない
 Qは、クエスチョニング:自身の性自認や性的指向が定まっていない、
             もしくは意図的に定めていない
    クィア:LGBTに当てはまらない性的マイノリティや、
        性的マイノリティを広範的に包括する概念


となっている。
が、
これらをひと括りにしてしまっても良いのだろうかという疑問、違和感がどうしても残る。


L・G・Bは、自分はどんなタイプを愛せるのか、という「性癖」であり、
Tは、自分が思っている性の認識と体の作りが違うという「病」であり、
Qは、自分でもよくわかっていない、どれかに当てはめるのが嫌い、あるいは、どれにも当てはまりたくないという「意思」であると思う。


「性癖」と「病」と「意思」
これらを一つにまとめられる理由を考えてみたが分からない。
「性的マイノリティ」というすごく大きな捉え方をしているが、それぞれのひとたちから見て、こんな言葉で一括りにされて違和感がないのだろうか。


LGBTQ+がビジネスになっている違和感

 それから、もう一つ違和感があるのは、この「LBGTQ+・・・」が、既にビジネスの一部になっていることだ。


 新宿の東急歌舞伎町タワーのジェンダーレストイレが8月4日から普通のトイレに改修されたが、これは、LBGTQ+をビジネス化して失敗したいい例だ。


 企業は、今の世の中の動きを予測したり、世の中をどのような方向に進めるのが良いのかということを考えて活動を行っていくが、東急の場合、「これからはLBGTQ+を考えて行動する企業が時代を作っていく」と考え、最初の商用ジェンダーレストイレをつくることで、東急に対する社会認知を更に高めたい(簡単に言うと東急という会社はやっぱりいい会社なんだ、と思われたい)と考えた。そしてそこには、それを勧めたコンサルティング会社や広告代理店がいたことが容易に想像できる。
 つまり、LGBTQ+がお金になること、LGBTQ+で新たにお金儲けができる流れを作ろうとしている(あるいは既に作っている)のだ。


 時代を先読みすることは、企業や流行を作るものたちにとっては当然のことだが、ことLBGTQ+については、
 対象者を「性的マイノリティ」をいう一つの括りで無理やりまとめ、それを考えることが「すべて善」であるという方向に無理やり持っていこうとしているようにしか思えない。


LGBTQ+権利の頂点になるのか

 このことが、いままでごく普通に生きてきた「女性」の権利を制限することになり、「性的マイノリティ」の人びとが、すべての権利の一番上に立ってしまうようなことにならないことを祈るばかりだ。


 また、LBGTQ+について考えられていることが、単に
「偏見や差別に苦しむセクシュアルマイノリティがいることをわかっています」
というメッセージを発信するためだけの動きなのだとしたら、それは逆に「性的マイノリティー」の人々に対して大いに失礼なことなのではないかと心配になるのは自分だけだろうか。
(続く?)

日本沈没 第二部 読後感

 日本沈没。

  超有名な小松左京原作のSF小説だ。


  この小説の一番最後に、
  「第一部・完」とある。


  何故?


  小松左京氏は、
  元々日本沈没で国土を失った日本人が、
  漂流民族として世界中に散り散りになった後、
  どのように日本という国を維持し、日本を再興していくのか、
  というところまでを書こうとしていたのだった。


 33年の歳月

  第一部の『日本沈没』が発売されたのは1973年3月、
  第二部が発売されたのは2006年7月というから
  実に、33年。


  その間、1997年には阪神淡路大震災が起こり
  小松左京氏自身も被災者となるなど、
  紆余曲折を経て、しかも谷甲州氏との共著で世に出されたのが
  『日本沈没 第二部』だ。
  *このあたりの経緯は第二部のあとがきで、
   小松左京氏自身が回想している。

 

 読後感

  ようやく読了した第二部の感想は、


  「もうすこしいろんな伏線を回収してほしかったなあ」  
  「日本人に地球にいてほしかったなあ」
  ということ。


  もし、第二部が谷甲州氏を始めとするプロジェクトチームとの共著
  という形をとっていなかったら、
  エンディングは変わっていたのではないだろうか。
  宇宙船「蒼龍」に乗って日本人が地球を後にしながら
  「君が代」を唄うという最期は、
  日本人が新しい旅立ちをしたというより
  地球にいられなくなった
  という感が強く残り残念だった。
  第一部で離れ離れになってしまった
  小野寺俊夫と阿部玲子も再会はできたがきちんと決着がついていない。


 発想・構想はさすがにすごい

  とはいえ、
  領土を失った日本人が、領土の再興のために
  旧日本領海の上にメガフロート(超巨大なブロックのようなもの)を
  浮かべようとしたことや
  全地球の気象が把握できる「気象シミュレーター」を開発した
  ことは正にSF的な発想で、
  小松左京氏らしく科学的な検証も十分に行われている
  と思わせるものだった。


  では。